「わからない」を大切に 先日、生徒に言われました。 先生は英語の先生に見えない。 国語とか社会っぽいですよ。 基準がなんなのかわかりませんが、見た目ですかね。 それなのに私に地学と物理の質問をするのはなぜでしょう笑 私の専門がなんなのか、正直わかりません。 民間の教育現場では、すべて教えられるのが当然です。 私は日本の教育を中学から受けました。 それまではオーストラリアで野山を自転車で走り回っていました。 したがって、出発点は「わからない」でした。 定期テストで「ミカヅキモ」を「ミカズキモ」と書いて不正解でした。 笑われました。 友達に「舌打ち」の意味を聞いたこともあります。そして国語の教科書に「ちぇっ」と書きこみました。 実はその教科書、隣のクラスの子から借りたもので、 後で爆笑されました。 一つだけ確かなことは、私には「わからない」気持ちが「わかる」ことです。 わからないことは、恥ずかしいことではありません。 わからないことを隠したり、劣っていると考えないでください。 わかるために、どうすれば良いのか考えることが大切だと思います。 私の仕事は確かに教えることです。 しかし、本当の願いは「思いやり」と「自己解決力」を持ってほしいということです。 だから今はまだ、わからなくていいのです。 カテゴリー: セルモの教室長BLOG 2017.12.23